死なないためにブログ書く。

贅沢したいわけじゃない、ただ普通に生きるためのコスト(お金も努力も)、高すぎじゃない?

お金にならないことばっかり考えてる〜新しい資本主義?〜

最初に言っておくと、今日の記事は長いでーす。

 

昨日はまたキツい片頭痛。本気で何もできなくて寝込む片頭痛なんか例年はそんなにないんだけどなー……。最近地震なんかも多くて「耳鳴りがする」って言っていた人もいるけど、私のコレも関係あるのかしら。

 

さて、本題。

岸田総理が「 新しい資本主義 」という言葉を掲げていたのをニュースで目にした人も多いと思うのだけど。

 

「 善き者にこそ幸いあれ 」

 

就職氷河期世代だからとか、生まれてから好景気だったことなんか無いからなのか。

私の人生の中で、少なくとも顔も名前も知っていて直接話したこともあるくらいには身近な人間が、四人自死している。その内二人は人となりがそれなりにわかるぐらいには親しかった。彼らは「善き人」で、生きているべきだった人で、でもだからこそこの「成熟しすぎた」とも思わされる資本主義の時代では生きづらかったろうなとも思う人たちだった。

上に書いた言葉は、そんな私の人生の中で以前に書いた小説で生まれたもの。多分これからも死ぬまで考えること。そして、もし新しい資本主義というものがあるならそれに対し求めることだ。

 

……っていうことをつらつらと考えている中で思いついたのが

「 『(善いという)評価 』が貨幣のような価値を持つ世の中なら、もういない彼らのような人たちももう少し生きやすくなったかもしれない 」

ということ。

でも「 善い 」はともかくとして「 評価 」を貨幣のようになんて概念は実はとっくの昔に先人が思いついていて、本まで出版されていた。読んでみたいとは思うけれども、今はお金がないから「いつか読みたい」っていう自分への備忘録的意味もかねてご紹介↓↓

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※このリンク、中古のものなのでご注意!私が今貼れるこの本のリンクだとこれしかなくて

ちなみにAmazonのkindleUnlimited会員だと無料で読めるらしいです。

この本の著者、岡田斗司夫さんはこの「評価経済社会」という考え方についてホリエモンと対談(?)していて、さらに対談集も出しているんだけど、このあたりについてはブログで紹介する際のルール的なものを、私がまだきちんと理解できていない気がするからリンク的なものは貼らない。名前とキーワードで検索したらすぐ出てくるので、ご興味のある方はぜひ。

 

ただ、本はまだ読んでいないけれどネットで見られる範囲で見る限りでは、たぶん私が思っていることと少し違う。たぶん、私が思っているよりシビアなもの。

 

では私が思う「 評価経済社会 」とは何か。

これは以前の私の記事↓↓

 

bluegoggles.hatenablog.com

この中で「生活に必要なお金を投資で得るのは歪んでいる気がするけど、何が何でも労働で得るべき!とも言わない。じゃあ何で得るのかというお話はまた別のところで」みたいな話をしているんだけど、その「じゃあ何で」っていう所にも繋がってる。

ちなみに私、経済の知識なんて全然ない上で、ただ「こんなこと考えてる……( ᐛ ) 。oO」っていうだけの話なのでコメントや問題点の指摘などくださるのは大歓迎ですが、どうかどうかお手柔らかに。いい歳だけど知識知力は子供並みってことで、子供に教えてあげるくらいの感じでくださいな。メンタルも弱ってるのでご容赦を(汗)

 

それには、二つの前提がいる。

まず一つめは「 ベーシックインカム 」。これはこの際お金でなくてもいいんだけど、要は評価経済社会になったときに、まったく「評価」を得られない弱者でも最低限の衣食住には困らないようなセーフティーネットが必要。これがあることによって初めて、生きていくためにしたくもない評価はしないで済む、つまり真の意味での、本心からの「 イイネ! 」が発せられるというわけ。

二つめは、一つめのベーシックインカムを維持する仕組み。

これはこれでいくつかポイントがあるんだけども。

まず、機械やAIにやってもらえる仕事は積極的にやってもらえばいいんじゃないかと。で、早い話が彼らにそのセーフティーネットを維持するだけのものを稼ぎ生み出してもらうという話。大規模な食糧生産なんかがその最たる例かな。シンギュラリティまで到達するとAI自身がAIを生み出すようになるというから、働きたくない人間としてはさっさとそれに到達してしまえと思う。

しかしこのセーフティーネットバチバチに機能した場合、雑に考えると自然淘汰ならぬ「経済淘汰」が働かなくなって人口爆増になる。だから「出産」と「子の育成」に制限を設け、獲得評価数や適性試験などの条件をクリアしない限り自分たちの産んだ子供を自分たちで育てることはできないようにする。「産み育てる」の「産む」という部分については望んだものとそうでないものはあるから、資格がないにも関わらず自発的に「妊娠した」「妊娠させた」についてはそれなりのペナルティが課されるようにする。

このシステムがあると、共産主義(?)にありがちな「頑張っても得るものがないから発展しなくなる問題」と「人口爆発問題」が抑制されて、虐待などの問題もかなり減るんじゃないかな、なんて。

ついでに言うと「ベーシックインカム×機械による大規模な労働代替」はAIや機械等の所有者・開発者のモチベーションが下がる、あるいは独占が発生するという問題も、共有してもらうことによって彼らにきちんと「評価」が行くような仕組みがあることによって解決するんじゃないかと。

 

まとめると、

①「 評価」では済まない、ライフライン的な部分の仕事はさっさと機械にお願いしてしまうこと。それにより今生きている人たちは「評価」を得られずとも生きていくことには困らないようになり、ほぼ「やりたいこと」だけやればいいようにできるんじゃないかということ。

②機械にも代替できない、でも人類のために必要なことをやっている人には貨幣及び社会的ステータスとして機能する「評価」がいくような仕組みを作ること

③この仕組みを維持できる程度の人口に抑えること

 

これが機能してくれれば、きっと善人であるが故に生きられなかった彼らも生きることのできる社会になると、私は思う。

 

今日はここまで。

自己紹介とかに特に書かなかったけど、普段こんなことばっかり延々妄想しているから多少の創作活動などもしています。次回からはそのあたりのお知らせも、このブログに入れていけたらなと思っています。

ではではまた明日(明日もそこそこ動けますように!)。