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贅沢したいわけじゃない、ただ普通に生きるためのコスト(お金も努力も)、高すぎじゃない?

物理学と占いの関係、そして日本人の不幸

今日の記事、長いよ★

距離的にもいろんな繋がり的にもそう遠くもない国で、戦争が起きている。でも今日も私は名もなき誰かの片思いや復縁やらその他やら、まあ要は「個人的なこと」扱いされるものについて占う、それはもう真剣に。戦争や政治や災害のことなんて占わない。

「そんなことやってられるなんて平和だよね」

と笑う人もいるかもしれない。そしてその「笑い」はどちらかといえば嘲笑寄りなのだろう。でも個人的なことと国家の一大事とは繋がっている。国家から自分が個人として蔑ろにされ続けていると感じたら、自身の所属する国家が一大事になろうとも誰が国家のために戦うだろう。極論、自分が生き残る算段が付くならそんな国家は負けちゃってどうぞになるかもね。

そんなわけで、今日も身の回りの話を。

私みたいに、特に誰にも師事せず独学で占いを勉強して、そのまま在宅仕事の占い師になると占い師仲間ができなくてね……だけど、ラインのオープンチャットを作ってみたらびっくりするぐらい良いメンバーが集まってくれて。まぁ、ちょっとしたトラブルなんかもあったから、集まってくれたメンバー5人だけにしてしばらく新規入会は受け付けないことになったんだけども。

で、そのオープンチャット。私よりも長く、本当に占いだけで普通に食べていってる(それも週二日ぐらいしか働いていないらしい)先輩もいて。その先輩曰く

「 時間なんて、本当は無いんだよ。未来に起きることは過去や今起きてることだから、未来予知は過去を振り返れば可能なんだよ 」

ふぇい?

いや、本当に「 ふぇい? 」だった。なるほどワカラン…… だって私、そんなスピリチュアルな要素持たずに占いの世界に飛び込んだんだもの。

ところが、ふぇい状態のまま数日過ごしたある日。本屋さんでこんな本が目に入った。

 

※kindleunlimitedで、今なら無料で読めます。

もちろん、まったくもってスピリチュアルな本ではない。もちろん先輩からこの本を紹介されたわけでもない。たまたま目にした。著者は理論物理学者だし。「 えー??」と思いながら、夫がkindleunlimitedに入っているのをいいことに早速ダウンロード。

 

あ、はい。先輩の言っていること、意味わかりました。たぶん、6割くらいは。そしてこの本の内容の理解度も6割くらいは……たぶん……

私の理解では間違っているかもだけど、一応その理解から言うと「時間は存在しない」というのは正しくは「『従来考えられてきたような性質の』時間は存在しない」。つまり、

○流れる方向は一定

○流れる速さは何処でも一定

という性質を持った「時間」は存在しない、というのが主な内容。

あと、従来は生き物が時間経過によって生まれ、老い、死ぬというように「物事の状態は時間によって支配され決まる」、つまり時間が物事を支配しているという考え方だったが、最新の科学のアレコレ(具体的に何かもいろいろ書いてあったけど、ぶっちゃけよくわからない、量子力学とかその辺なんだと思うけど)を総合すると「物事の状態によって時間が決まる」という、つまり物事の方が時間を支配している、という風に考えるのが正しい、らしい。

上述の生き物の「生・老・死」という状態を例にとると、それらは一直線に並んでいるように見えて、本当は同じところに重なり合うように存在していて、それらのうちのどれが最表層に出てくるかはその周囲に存在する他の物事との関わりで決まる。

ここで冒頭の先輩の話に戻るのだけど、言い換えれば、過去・現在・未来は本来同じ座標(?)に存在しているけど表に出てきてないだけなのだから、ありもしない「未来」を視る必要はないんだよ、やり方は人によって違うかもしれないけど、占うことによって過去及び現在をそれこそ穴のあくほど深く見つめて、その穴から向こうに隠れている未来を見透かすだけなんだよ……ということを先輩は言いたかったのだと思うけどいかんせん先輩はこの本を読んだわけではなく、私も説明が下手なものだから「こういう意味だったんですよね?」と確認しきれずにいる……

 

それでだ。

こんなふうにして、元来正反対のように扱われる科学と占いを含むスピリチュアルがなんとな~く、繋がったような気が私はしたのだけど。それって生物進化のミッシングリンクみたいに、絶対に繋がってるはずなのにいくつか間が見つからないみたいな繋がり方で。この「ミッシングリンク」はたぶん、科学の祖である「哲学」に隠れているのではないかと本を読んでいて感じた。実際、この本の後半はもう哲学の話ばっかり、マジで。

ところが、よ?

この本ね、本当はとても分かりやすいはずだと思うの。だって難しい数式が出たの、一回だけだもの。でも、私にとって読むのがかなり大変な本だった。理由は、私は哲学をきちんと学んだことが無いから。そしてなんと、日本人の大半が哲学をきちんと学ぶことなく生涯を終えるから。高校で倫理の授業くらいはあるけど、それだけでしょ?あとは大学とかでわざわざ履修しない限りはそれっきり。

改めて考えると、これってけっこうマズいことなのでは、と思った。だって、哲学が科学の祖であるという認識自体は割と一般的でしょ?それなのに一生哲学学ばないって、けっこうやばくありませんこと?って思った。

具体的にどうやばいと感じるかと言うと、哲学を学ばずに科学を学ぶと、結局大半の科学が「暗記」っぽくなっちゃうということ。真実は常に一つ、そして不変!みたいになっちゃって、違う角度から見たり「でも今事実とされているこれにも違う可能性があるかもしれない」という目で見なくなる。だから後に自分が暗記したことと全く違う新しい考え方(例えばこの本みたいな)に触れると「俺が過去に学んだことは間違っていた!嘘を教えられた!」とか「何だこれ、屁理屈じゃん」っていう、僻みっぽいところで終わってしまってその先に進まないと言ったら伝わるかしら……

 

とりあえず占い師になったけど「どういう」占い師になるかまで考えて占い師になったわけじゃない。けど最近、せっかく自分には「理系(これも小声)」というバックグラウンドがあるのだから、どっぷりスピリチュアルでもなくて科学的な思考を持ちつつ別に矛盾なく占いを道具として使うような者であろうと考えてる。そしてそのために、四十手前にして哲学を学ばなければいけないということに気づかされて愕然としてまーす、というお話。今日はここまで。